以下の
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以下のダウン症とは完全型と転座型だけを指し、モザイク型は含みません。また、以下の記述は症状や性質がダウン症と似た他の障害にも該当します。しかし、発生頻度が高い主な障害の中ではダウン症だけが該当します。
→ 完全型・転座型ダウン症
→ モザイク型ダウン症
以下の記述は一般論なので、必ずしも全ての身体障害者が出生前診断に反対しているわけではないことを予めご了承ください。
母親が子供を殺したニュースが報道され、後から殺された子供がダウン症だったと判ったときに通常の人はその母親の立場も理解できるので、非難するのは避ける傾向があります。中にはその母親に同情する人もいます。しかし、身体障害者は逆に殺された子供がダウン症だったと判るとよけい憤慨するのです。
象徴的な意味では身体障害者から見れば通常の子供は他人なのです。しかし、殺されたダウン症は自分なのです。というのは、身体障害者は通常の子供ではなく、殺されたダウン症に自分を重ね合わせるからです。
同じ障害者同士という仲間意識が無意識のうちに働くので、ダウン症の殺害と聞くと、あたかも自分が殺されるかのように誤解するのです。あたかも自分が拒絶されるかのように誤解するのです。そのため、他人(通常の子供)が殺されることには無関心なのです。しかし、自分(ダウン症)が殺されることには憤慨するのです。
というのは、自分(ダウン症)が殺されるくらいならば他人(通常の子供)が殺される方がマシだという意識が無意識のうちに働くからです。
それだけ身体障害者は通常の人とは感覚が正反対なのです。そのため、身体障害者と出生前診断の是非を議論してもどこまで行っても平行線になることが多いのです。ダウン症の親はそれなりの条件や環境が整えば出生前診断を容認することもあります。しかし、身体障害者が出生前診断を容認することはほとんどないのです。
しかし、ダウン症が生まれると通常の家族だけではなく、身体障害がある家族も苦しむことになるので、注意する必要があります。というのは、ダウン症が生まれたことによる苦しみは身体障害者にも容赦なく襲いかかるからです。
→ 身体障害がある家族も苦しむ